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2006年5月28日 (日)

むかしばなし INTRO

昭和42~5年頃、ぼくは東京都葛飾区小菅に住んでいた。
家は借家でいわゆる長屋。棟続きで、裏は共同便所への廊下で繋がっていた。前の通りは砂利道で、木の電柱、木の共同ごみ箱、当時大体のものが木製だったようにおもう。テレビが来たのも確かその頃で、白黒画面にみどり色(セルロイド製?)のパネルがはめられていてそれを見上げていた記憶がある。近所には流行っていたコリー犬を飼っている家がありよく遊びに行ったり、大きな側溝(ドブですね)に落ちて大人に引き上げられ井戸場で水をかけられたり、東京拘置所の守衛さん(お巡りさん?)に遊んでもらったりとごく普通の幼児期を過ごした。(あぁ、幼稚園でもらう肝油ゼリーみたいなのが楽しみだったのも思い出した)
親戚付合いも頻繁で毎週のように伯父さんや伯母さんが来ていたような気がする。今考えると両伯父伯母ともに子供がいなかったので可愛がりに来てくれていたのだろう。来るたびにお土産を携えてくるがその中でも印象に残っているのが「花火」。何でそうなのかわからないが気が付けば「花火のおじさん」と呼んでいた。(今気が付いたが叔父の会社が浅草橋にあったからだろう)伯母さんのほうは「浅草のおばさん」。そのまんま浅草に住んでいたからだが、料亭で住み込みで働いていて、何度か遊びに行ったが居心地の悪かったことだけ覚えている(今だったらそんなことはないと思うのだが・・・)。その伯母はうちへ来て刺身で一杯やっていくのが楽しみだったようで、来るたびにささやかな酒宴であった。当時刺身、なかでもマグロが苦手だったぼくは「いいからちょっと食べてごらん」と無理やり食べさせられ、その瞬間から好物になったことがあって、伯母は得意満面だったようだ。(イクラ、雲丹も苦手だったが好物になるのはずっとあとである)
当時両親は家で靴を造る仕事(製甲という)をしていたはずなのだがその記憶はほとんどない。具体的に憶えているのは怒られたこと、銭湯への行き帰りの道、一緒に遊んでもらったことなどのわずかなこと。だがその場、時、刻を充たしていたものの感じは今でも確実にある。

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